
≫ 細長い町家は「土地が狭かったから」だけではない。通りで商い、奥で暮らす京都の都市生活が生んだ形でした
伏見の古い通りを歩いていると、道路に面した幅はそれほど広くないのに、奥へ長く続いている家を見かけることがあります。
京都の町家でよく知られる「うなぎの寝床」と呼ばれる形です。では、なぜわざわざ細長い家を造ったのでしょうか。
よく「昔は間口の広さで税金が決まったから」と説明されますが、それだけで語ると少し単純すぎます。商人や職人にとって通りに面することが重要だったこと、町の負担を間口に応じて分担する仕組みがあったこと、限られた通り沿いに多くの家を並べる必要があったことなど、いくつもの事情が重なって細長い敷地が定着していきました。
今回は、町家の形から見えてくる京都の都市生活と、伏見の城下町・商業の町に今も残る暮らしの記憶をご紹介します。
≫ 今回の秘密
この記事では、次のことが分かります。
・町家が「うなぎの寝床」と呼ばれる理由
・細長くなった理由は「税金だけ」ではないこと
・通り側が商い、奥側が暮らしという町家の使い方
・暗くなりやすい家の中に坪庭が設けられた理由
・伏見の町家を見ると、城下町と商業都市の歴史まで見えてくること
≫ 秘密① 細長いのは建物より先に「土地」が細長かったから
京町家を理解するとき、まず知っておきたいのは、建物だけが細長いのではなく、その土台となる敷地そのものが「間口が狭く、奥行きが深い」形になっていることです。
京都市も、京町家の一般的な特徴として、狭い間口に対して奥行きを長く取る敷地形状を挙げています。この姿が細長いうなぎを連想させるため、「うなぎの寝床」と呼ばれてきました。
では、なぜそのような土地割りになったのでしょうか。
昔の都市では、現在のように大きな道路沿いへ自動車で出入りすることよりも、「通りに面していること」そのものが大きな意味を持っていました。
商人なら通り側に店を構え、商品を見せ、人と接します。職人も仕事場を持ち、通りを通る人とのつながりの中で仕事をしていました。
限られた長さの通りに、できるだけ多くの家や店が直接面しようとすれば、一軒あたりの間口を抑えて土地を奥へ伸ばす方法が合理的です。
町家の細長さは、単なる不便な土地の形ではなく、「通りとつながって暮らす都市」の形だったのです。
≫ 秘密② 「間口で税金が決まったから」だけでは説明できない
町家が細長い理由として有名なのが、「間口の広さに応じて税金がかかったので、間口を狭くした」という話です。
まったく根拠のない話ではありません。近世の京都では、町の運営費や公的な負担などを、家の間口の大きさに応じて分担する仕組みがありました。そのため、間口の広さが家の負担と関係していたことは確認されています。
ただし、「税金を安くするためだけに、京都の人が細長い家を造った」と理解するのは正確ではありません。
もう一つ重要なのが、商人や職人にとって「通りに店を持つこと」が大切だったことです。
一軒が広い間口を占めれば、通りに面できる家の数は少なくなります。反対に、間口を小さくして奥行きを深くすれば、同じ通りにより多くの家や店を並べることができます。
つまり、町家の形には「負担の仕組み」と「商売に有利な通りへの接し方」、そして人口が集まる都市で土地を細かく使う必要性が重なっていたと考える方が分かりやすいのです。
地元の人でも、「間口税だけが理由ではない」と聞くと、少し意外に感じるのではないでしょうか。
≫ 秘密③ 表は「仕事」、奥は「暮らし」だった
細長い町家は、奥へ進むにつれて空間の役割が変わっていきます。
典型的な町家では、通りに近い場所に「店の間」があり、その奥に台所や居室、座敷、庭などが続きます。道路から奥まで続く細長い土間は「通り庭」「通り土間」などと呼ばれました。
つまり、一つの建物の中に「商売をする場所」と「家族が暮らす場所」が共存していました。
現在なら、仕事場と住宅を別々に持つことも珍しくありません。しかし昔の町では、家が店であり、仕事場であり、生活の場所でもあったのです。
道路側では人や商品が行き交い、奥へ入るほど家族の生活に近づいていく。
細長い間取りは、一見すると使いにくそうですが、商いと暮らしを一本の敷地の中にきれいに並べることができました。
伏見も、豊臣秀吉による城下町整備以降、商人や職人が集まり、江戸時代には港町・宿場町・酒どころとして発展しました。伏見の古い市街地で町家を見るときは、建物だけでなく「ここで何を売り、何を作り、どのように家族が暮らしたのだろう」と想像してみると、町の見え方が変わります。
≫ 秘密④ 細長い家の弱点を「坪庭」が助けていた
間口が狭く、両隣にも建物が並ぶ町家には大きな問題があります。
奥へ行くほど、外からの光や風を取り込みにくくなることです。
そこで町家では、建物の途中や奥に「坪庭」と呼ばれる小さな庭を設ける工夫が見られます。
坪庭があれば、細長い建物の途中にも外部空間が生まれます。そこから光や風を取り込み、季節の変化を感じることもできます。
さらに、道路から奥まで続く通り庭や、上部を吹き抜けにした「火袋」など、細長い建物の中で空気や光を扱うための工夫も発達しました。
京都市の京町家条例でも、通り庭・通り土間、火袋、坪庭・奥庭などは、京町家を特徴づける要素として示されています。
「うなぎの寝床」は、ただ細長く造っただけではありません。
細長いという条件を受け入れながら、どうすれば気持ちよく暮らせるのか。その答えとして、庭や土間、吹き抜けを組み合わせた住まい方が育っていったのです。
≫ 秘密⑤ 伏見では「小さな町家」と「大きな酒蔵」が一緒に町をつくった
京都の町家というと、四条・祇園・西陣などを思い浮かべる方も多いでしょう。しかし伏見の古い市街地にも、町家文化を考えるうえで面白い景色があります。
それが、町家と酒蔵が同じ町の中に並んでいることです。
伏見は16世紀末の伏見城築城を契機に城下町として大きく整備され、その後は京都と大坂を結ぶ水運の拠点、宿場町、そして酒造の町として発展しました。
大手筋、京町、両替町など、現在の中心市街地にも城下町時代から続く都市の骨格が残っています。
その中で、商人や職人が暮らす町家と、酒を仕込み貯蔵する大きな酒蔵が共存してきました。
伏見南浜周辺を歩くと、白壁と黒い板壁の大きな酒蔵だけでなく、その周囲に比較的小さな間口の建物が連続する場所があります。
「酒蔵だけを見る」のではなく、「酒蔵と町家の大きさの違いを見る」。これが伏見の町並みを楽しむ一段深い見方です。
建物の大きさは違っても、瓦屋根や軒、通りとの関係が連続することで、伏見独特の町の表情が生まれています。
≫ 地元民しか知らない豆知識
|町家を見るなら「正面」より、その先を想像してみる
町家を道路から眺めると、小さな家に見えることがあります。しかし、正面の幅だけで建物の規模を判断すると、町家では見誤ることがあります。
間口の奥には部屋が続き、さらに坪庭、奥の座敷、奥庭、蔵などが配置される場合があるからです。
つまり昔の町では、道路から見える建物の「幅」と、実際の敷地の「広さ」が必ずしも同じ感覚ではありませんでした。
これは現在の不動産を見るときにも興味深いポイントです。伏見の旧市街地では、道路から見るとコンパクトでも、地図や公図を見ると奥へ長く延びた土地が見つかることがあります。
古い町の土地境界には、昔の暮らし方がそのまま残っていることがあるのです。
≫ 実際に歩いてみよう
|町家と商いの町を感じる伏見散策ルート
京阪伏見桃山駅・近鉄桃山御陵前駅
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伏見大手筋商店街
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納屋町商店街周辺
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油掛通周辺
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酒蔵と町家が残る伏見南浜周辺
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宇治川派流・濠川周辺
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京阪中書島駅
ゆっくり建物を眺めながら歩いて、1時間30分から2時間ほどを目安にするとよいでしょう。
今回の散策では、有名な建物だけを探す必要はありません。「隣り合う建物の間口はどのくらい違う?」「道路から奥へどのくらい続いていそう?」と想像しながら歩いてみてください。
伏見南浜周辺では、大きな酒蔵と小さな町家が同じ視界に入る場所があります。建物単体ではなく、道に沿って連続する町並みとして眺めるのがおすすめです。
古い町家の多くは現在も住宅や事業所として利用されている私有地です。内部をのぞき込んだり、敷地内へ入ったりせず、道路など公共の場所から静かに楽しみましょう。
ベビーカーや小さなお子さまと歩く場合は、古い市街地には道幅の狭い場所や車が通る道路もあるため、建物だけに気を取られず周囲の交通にも注意してください。
≫ センチュリー21ホームサービス伏見桃山店からひとこと
伏見の旧市街地で土地や中古住宅を見るときは、建物の正面だけでは分からないことがたくさんあります。
特に昔からの町では、間口が比較的狭く奥行きの長い土地、隣家との距離が近い建物、細い道路に接する敷地などがあります。そのため、物件資料の面積だけでなく、敷地の形、接道状況、採光、風通し、隣家との位置関係、建物の奥までの動線を実際に確認することが大切です。
また、古い町家を購入・改修する場合には、現在の建築基準だけで単純に判断できないこともあります。耐震性や防火性、再建築時の条件、景観上のルールなども物件ごとに確認する必要があります。
昔の土地割りを「使いにくい」と見るだけでなく、なぜこの形になったのかを知ることも、伏見で住まいを選ぶ面白さの一つです。
≫ 編集後記
古い町家の正面だけを見ていると、「小さな家だな」と通り過ぎてしまうかもしれません。
でも、その格子の向こうに店があり、さらに奥へ台所や座敷が続き、小さな庭から光が入り、その先で家族が暮らしていたと想像すると、細い間口が突然立体的に見えてきます。
町家は、昔の人が不便を我慢して暮らした家ではありません。その時代の商売、土地、家族、気候に合わせて工夫を重ねた「都市の住まい」でした。
次に伏見桃山から中書島へ歩くときは、建物の正面だけでなく、その見えない「奥行き」を想像してみてください。いつもの通りの向こうに、何百年も続く町の暮らしが見えてくるかもしれません。
≫ FAQ|京都・伏見の古い町家についてよくある質問
Q1.京都の町家はなぜ細長いのですか?
通りに多くの家や店が面するため、間口を比較的狭くして敷地を奥へ伸ばしたことが大きな背景です。近世には町の負担を間口に応じて分担する仕組みもあり、商業、土地利用、負担制度など複数の事情が関係したと考えられています。
Q2.町家が「うなぎの寝床」と呼ばれるのはなぜですか?
道路に面する間口が狭く、奥行きが長い敷地や建物の形を、細長いうなぎの寝床に例えた呼び方です。京都の町家を表す有名な表現として使われています。
Q3.町家が細長いのは「間口税」が原因ですか?
間口に応じて町の費用や公的な負担を分担した仕組みはありましたが、それだけが理由とはいえません。商人や職人が通りに面して店や仕事場を持つ必要性や、都市の土地を細かく利用したことなども関係しています。
Q4.細長い町家の奥は暗くなかったのですか?
暗くなりやすいため、坪庭、奥庭、通り庭、火袋と呼ばれる吹き抜けなどを利用し、建物の途中や上部から光や風を取り込む工夫がありました。
Q5.古い町家を購入してリフォームすることはできますか?
可能な建物もありますが、耐震性、防火性、接道、再建築時の条件、景観規制、建物の状態などを個別に確認する必要があります。京都市では京町家の耐震診断や耐震・防火改修を支援する制度も設けられているため、購入前に専門家と確認することが大切です。
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