Vol.71 ▶ 伏見城の石垣は今どこに残っている?消えた城を足元から探してみた



≫ 天守は消えても、伏見城の石は桃山の地上と地下に今も残っている

 

伏見桃山を歩いていて、「ここに本当に豊臣秀吉の城があったのだろうか」と思ったことはありませんか。

現在の桃山には住宅地や学校、御陵、公園が広がり、大阪城のように城壁が連なる景色はありません。

ところが、伏見城の石垣はすべて失われたわけではありません。桃山東小学校には発見された石垣の一部が移築復元され、明治天皇伏見桃山陵の参道沿いには伏見城の石垣に使われたとされる石が残ります。さらに近年の発掘でも、住宅地や丘陵の地下から石垣が次々と確認されています。

今回は、「伏見城の石垣は今どこにあるのか」を追いながら、城が消えた後も伏見の街に残り続ける痕跡をご紹介します。

 


 

≫ 今回の秘密

 

この記事では、次のことが分かります。

・伏見城の石垣はすべて失われたわけではない
・桃山東小学校には約15メートルの石垣が移築復元されている
・明治天皇伏見桃山陵の参道沿いにも伏見城に使われたとされる石が残る
・現在も桃山の地下から石垣や城の遺構が発見されている
・石垣だけでなく、坂道や段差にも城づくりの痕跡が残っている

 


 

≫ 秘密① 伏見城の石垣は「なくなった」のではなく、地上と地下に分かれて残っている

 

最初に結論をお伝えすると、伏見城の石垣は現在も残っています。

ただし、大きな石垣が城跡を囲んでいるわけではありません。

伏見城は江戸時代初期に廃城となり、その後、城跡の土地利用も大きく変化しました。そのため、現在の桃山を歩いただけでは城郭の全体像はほとんど分かりません。

一方で、桃山丘陵では地下に伏見城の遺構が残っている場所があります。

京都市による発掘調査では、伏見城跡や指月城跡から石垣、石垣の基礎、階段、造成された地面などが確認されています。

つまり現在の伏見城跡は、「地上に城跡がそのまま残る遺跡」というより、住宅地や道路、学校、御陵などの下に城の構造が重なっている場所なのです。

普段歩いている桃山の町の地下に、約430年前の城が眠っている。これが伏見城跡の面白さです。

 


 

≫ 秘密② 約100メートルの石垣が発見され、約15メートルが桃山東小学校に残された

 

伏見城の石垣を語るうえで重要なのが、桃山町伊庭で発見された石垣です。

1977年、桃山東土地区画整理事業の工事中に、伏見城の帯曲輪の基礎部分にあたるとされる全長約100メートルの石垣が見つかりました。

帯曲輪とは、城の斜面などに細長く設けられた防御用の平坦地です。

京都市の資料によると、石垣を構成していた石は一つで約1トンから2トン半もあり、一部には墨で文字が記されていました。

発見された石垣のうち約15メートル分は、現在の京都市立桃山東小学校内に移築復元され、京都市の登録史跡となっています。

ここで大切なのは、現在見える位置にそのまま残った石垣ではなく、発掘された石を使って移築復元されたものだという点です。

また学校敷地内にあるため、一般の観光施設のように自由に立ち入って見学する場所ではありません。見学のために無断で校内へ入ることは避けましょう。

 


 

≫ 秘密③ 発見された約300個の石は、御香宮や西京極にも移された

 

桃山町伊庭で発見された石垣の石は、桃山東小学校だけに残されたわけではありません。

京都市の資料では、出土した約300個の石の一部が御香宮神社の境内に保管され、別の一部は京都市西京極総合運動公園のゲートのモニュメントとして保存活用されたとされています。

つまり伏見城を構成していた石が、城跡から離れた場所でも保存されているのです。

これは地元の方でも意外と知らない伏見城の話ではないでしょうか。

御香宮神社は伏見城とも関係の深い神社です。豊臣秀吉は御香宮を伏見城内へ移して城の守護神とし、後に徳川家康によって現在地へ戻されたと伝えられています。

現在の表門も旧伏見城の大手門と伝えられています。

さらに社務所の一画には「伏見城跡出土遺物展示室」があり、伏見城跡から出土した瓦などを見ることができます。

石垣だけを探すのではなく、建築、瓦、地形まで一緒に見ると、伏見城が現在の町へどのように受け継がれたのかが見えてきます。

 


 

≫ 秘密④ 明治天皇伏見桃山陵の参道にも「伏見城の石」が残っている

 

伏見城の痕跡を比較的身近に感じられる場所の一つが、明治天皇伏見桃山陵周辺です。

現在の明治天皇陵がある一帯は、木幡山伏見城の本丸があった付近と考えられています。

京都市の「京都の文化遺産」では、伏見桃山陵の参道沿いに、伏見城の石垣に使われていたという石が残っていることが紹介されています。

伏見桃山陵と伏見城は、時代の異なる別々の歴史ではありません。

城の中心部だった土地が後に陵墓地となったことで、大規模な土地の改変を受けにくかった場所もあります。

実際、近年の発掘調査でも、桃山陵墓地に近い伏見城跡から保存状態のよい石垣が確認されています。

230段の大階段だけに目を向けず、参道の地形や周囲の石にも意識を向けてみると、「ここは城の中心だった」という実感が少しずつ湧いてきます。

 


 

≫ 秘密⑤ 令和になっても、桃山の地下から新しい石垣が見つかっている

 

伏見城の研究は、昔に終わったわけではありません。

京都市が桃山町下野で行った発掘調査では、伏見城に伴うと考えられる石垣が幅約7メートル、高さ約1.8メートルにわたって確認されました。

石垣は4段分が残り、調査では本来さらに高く積まれていた可能性が示されています。

一方で、この石垣が豊臣期と徳川期のどの段階に築かれたものかについては、出土遺物が少ないため慎重な検討が必要とされています。

さらに指月城跡でも、発掘によって石垣や石垣の基礎が確認されています。

伏見城は一度だけ造られた城ではありません。秀吉が最初に指月へ築いた城、1596年の慶長伏見地震後に木幡山へ移された城、その後の徳川期の城と、複数の段階があります。

そのため地下から石垣が見つかるたびに、「いつの城なのか」「城のどの部分なのか」を調べる必要があります。

私たちが暮らす町の地下から、今も伏見城の新しい姿が少しずつ明らかになっているのです。

 


 

≫ 地元民しか知らない豆知識

 

|石垣が見えなくても「地面の段差」が城跡かもしれない

伏見城を探すとき、石だけを見ていると大切なものを見落とします。

桃山丘陵には、坂の途中なのに突然平らな住宅地が現れたり、道路一本を隔てて土地の高さが大きく変わったりする場所があります。

伏見城と大名屋敷の建設では、丘陵の斜面を削り、土を盛って大規模な造成が行われました。

つまり伏見城が残した最大級の遺構は、一本の石垣ではなく「桃山の地形そのもの」と考えることもできます。

桃山町には大名やその官職に由来すると考えられる町名も多く残っています。町名と坂道、段差を一緒に地図で見てみると、現在の住宅地の向こうにかつての城下町が浮かび上がってきます。

 


 

≫ 実際に歩いてみよう

 

伏見城の石垣をテーマに歩くなら、城跡だけを目指すより、「城の中心から城下町へ下る」ルートがおすすめです。

|おすすめ散策ルート

JR桃山駅
↓
明治天皇伏見桃山陵参道周辺
↓
桃山丘陵の坂道と高低差を観察
↓
御香宮神社
↓
近鉄桃山御陵前駅・京阪伏見桃山駅周辺
↓
伏見大手筋商店街

立ち寄りながら歩くなら、1時間30分から2時間ほどを見ておくとゆっくり楽しめます。

桃山丘陵は坂道が多いため、歩きやすい靴がおすすめです。小さなお子さま連れやベビーカーの場合は、伏見桃山陵の大階段を無理に利用せず、歩きやすい経路を選びましょう。

御香宮神社では、表門や伏見城跡出土遺物展示室にも注目してみてください。公開状況や受付時間は変更される可能性があるため、訪問前に最新情報を確認すると安心です。

また、桃山東小学校に保存されている石垣は学校敷地内です。見学目的で無断で立ち入らないようにしてください。

住宅地を歩く際も、私有地には入らず、道路上で立ち止まって通行を妨げたり、大声で話したりしないことが大切です。

 


 

≫ センチュリー21ホームサービス伏見桃山店からひとこと

 

桃山で住まいを探すとき、駅からの徒歩分数だけでは分からないのが「高低差」です。

京阪伏見桃山駅や近鉄桃山御陵前駅周辺から東へ向かうと桃山丘陵へ入り、同じ徒歩10分前後でも、坂の勾配や道路幅、土地の高さは場所によって変わります。

これは毎日の徒歩や自転車での移動、ベビーカー、将来の生活動線を考えるうえでも確認しておきたいポイントです。

一方、その複雑な高低差の一部には、自然の地形だけでなく伏見城や大名屋敷を築いた時代の大規模な造成が関係しています。

物件を見るときに建物だけでなく、一本隣の道路や坂、周囲との高低差まで歩いて確かめる。そんな見方をすると、桃山という地域の暮らしと歴史を同時に理解しやすくなります。

 


 

≫ 編集後記

 

伏見城の石垣を探してみると、「城跡を見る」という言葉の意味が少し変わります。

立派な天守や長い石垣が残っていなくても、学校に保存された石、御陵の参道、発掘された地下の石垣、そして桃山の坂道まで、約430年前の城づくりにつながっています。

伏見は、昔の姿をそのまま保存した町ではありません。時代ごとに姿を変えながら、その下に前の時代の記憶を重ねてきた町です。

次に桃山を歩くときは、建物だけでなく足元にも目を向けてみてください。何気ない坂や大きな石の向こうに、消えたはずの伏見城が見えてくるかもしれません。

 


 

≫ FAQ|伏見城の石垣についてよくある質問

 

Q1.伏見城の石垣は現在も残っていますか?

はい。桃山東小学校には1977年に発見された石垣の一部約15メートルが移築復元されています。また、明治天皇伏見桃山陵の参道沿いにも伏見城の石垣に使われたとされる石が残り、地下からも石垣遺構が発見されています。

Q2.桃山東小学校の伏見城石垣は自由に見学できますか?

学校敷地内にあるため、一般の観光施設のように自由に立ち入る場所ではありません。学校への無断立入りは避けてください。

Q3.明治天皇伏見桃山陵は伏見城跡にあるのですか?

はい。現在の明治天皇伏見桃山陵付近は、木幡山伏見城の本丸があったあたりと考えられています。参道沿いには伏見城の石垣に使われたという石も残されています。

Q4.現在の伏見桃山城運動公園にある天守は秀吉の伏見城ですか?

いいえ。現在見える天守風建築は1964年に開園した遊園地の施設として造られたもので、秀吉時代の伏見城天守そのものではありません。また、実際の天守があった位置とも異なります。

Q5.なぜ伏見城の石垣は地上にあまり残っていないのですか?

伏見城が江戸時代初期に廃城となった後、城跡の利用や土地の改変が進んだからです。ただし、桃山丘陵では地下に遺構が残る場所があり、近年の発掘調査でも石垣や造成跡などが確認されています。

 

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