
≫ 東京で生涯を終えた明治天皇が、眠る場所として選んだのは京都・伏見の桃山でした
伏見桃山の東側へ歩いていくと、住宅地の先に深い緑に包まれた長い参道が現れます。その先にあるのが、第122代明治天皇の陵墓「伏見桃山陵」です。
明治天皇といえば、明治維新後の東京を思い浮かべる方が多いでしょう。それなのに、なぜ陵墓は東京ではなく京都市伏見区の桃山にあるのでしょうか。
その答えをたどると、明治天皇と京都とのつながり、本人の意思、そして豊臣秀吉の伏見城があった桃山という土地の歴史が一本につながります。
今回は、伏見桃山陵がなぜこの場所に造られたのか、現在の桃山の街と重ねながらご紹介します。
≫ 今回の秘密
この記事では、次のことが分かります。
・明治天皇陵が東京ではなく伏見桃山にある理由
・明治天皇と京都の深いつながり
・陵墓の場所が伏見城跡と重なっていること
・1912年に東京から伏見まで霊柩が列車で運ばれたこと
・現在の桃山の坂道や駅名と明治天皇陵との意外な関係
≫ 秘密① 明治天皇陵が桃山にある最大の理由は、本人の意思にあったと伝えられている
結論からいうと、明治天皇の陵墓が伏見桃山に造られた最大の理由は、明治天皇自身が桃山への埋葬を望んだという遺詔によるものとされています。
『明治天皇紀』などに基づく資料では、明治天皇が自らの死後、陵を桃山に営むことを望んだと伝えられています。
明治天皇は1912年(明治45年)7月30日に崩御しました。その後、同年8月6日に陵所が選定され、9月15日に「伏見桃山陵」という陵名が定められました。
つまり、政府が単に「京都にふさわしい場所があるから桃山にしよう」と決めた、というだけではありません。
ただし、なぜ明治天皇が数ある京都の土地の中から桃山を望んだのか、その心情のすべてを現在の私たちが断定することはできません。確認できる史料に沿って考えることが大切です。
≫ 秘密② 明治天皇にとって京都は「遠い古都」ではなく、生まれ育った故郷だった
明治天皇というと東京の皇居を連想しますが、もともと京都で生まれ、京都で少年時代を過ごした天皇です。
1852年に京都で生まれ、1867年に践祚。幕末から明治維新という大きな変化の中で即位し、1868年には東京へ向かいました。
その後、政治の中心は東京へ移っていきますが、明治天皇の人生の出発点は京都でした。
父である孝明天皇の陵墓も京都市東山区の後月輪東山陵にあります。近代国家の中心が東京へ移ったからといって、皇室と京都との長い歴史まで消えたわけではありません。
伏見桃山陵を見るとき、「東京の天皇が京都に葬られた」と考えるより、「京都で生まれた明治天皇が、最後に京都へ戻った」と見ると、この場所の意味が少し分かりやすくなります。
≫ 秘密③ 陵墓が造られた桃山は、かつて伏見城の中心部だった
伏見桃山陵の場所には、さらに古い歴史が重なっています。
現在の陵墓周辺は、豊臣秀吉が築いた木幡山伏見城の中心部、本丸があった付近とされています。
秀吉は1596年の慶長伏見地震で指月の伏見城が大きな被害を受けた後、木幡山に城を築き直しました。その城下には全国の大名屋敷が集まり、伏見は政治と交通の重要拠点になりました。
伏見城は江戸時代初期に廃城となり、城跡一帯には後に桃の木が多く植えられました。江戸時代には桃の花を見る場所として知られるようになり、「桃山」という呼び名が定着していったとされています。
そして1912年、その伏見城跡に明治天皇の陵墓が営まれました。
桃山では、一つの場所に「豊臣秀吉の伏見城」「江戸時代の桃の名所」「明治天皇陵」という異なる時代の歴史が重なっているのです。
≫ 秘密④ 1912年、明治天皇の霊柩は東京から列車で伏見へ運ばれた
明治天皇が崩御した1912年、日本の政治の中心はすでに東京でした。そのため大喪の儀も東京で始まります。
9月13日、東京の青山練兵場に設けられた葬場殿で儀式が行われ、その後、霊柩は列車で京都へ向かいました。
伏見桃山へ到着した後、陵所へ移され、9月15日に奉葬されました。
現在なら東京から京都まで新幹線で移動する光景を思い浮かべますが、当時は鉄道そのものが近代国家を象徴する交通手段でした。
東京で近代日本を歩んだ天皇が、鉄道によって生まれ故郷の京都へ戻り、伏見桃山に葬られたことになります。
伏見の歴史というと、秀吉、家康、幕末の志士たちに目が向きがちですが、桃山は「明治」という時代の最後とも深く結び付いた土地なのです。
≫ 秘密⑤ 現在の「桃山御陵前」という駅名にも、明治天皇陵の歴史が残っている
地元の人にはおなじみの近鉄京都線「桃山御陵前駅」。何気なく使っている「御陵前」という名前は、もちろん明治天皇の伏見桃山陵に由来します。
さらに現在の近鉄京都線の前身である奈良電気鉄道の歴史をたどると、最初に開業した区間は1928年の桃山御陵前から西大寺まででした。
つまり伏見桃山陵は、歴史的な場所として存在しているだけではありません。20世紀に入ってからの伏見の交通にも影響を与えました。
現在も「桃山御陵前」「伏見桃山」「桃山」という名前を持つ駅が近い範囲にあります。
豊臣秀吉の時代、江戸時代の桃の名所、明治天皇陵、そして近代の鉄道。普段使っている駅名だけでも、桃山が歩んできた時代の重なりを読み取ることができます。
≫ 地元民しか知らない豆知識
|あの長い石段は、実際に230段ある
伏見桃山陵を訪れた人の記憶に強く残るのが、陵墓へ向かってまっすぐ伸びる大きな石段です。
京都市の「京都の文化遺産」でも、この石段は230段と紹介されています。
下から見上げると圧倒されますが、この高低差こそ桃山を理解する大きな手掛かりです。伏見の中心市街地から東へ進むと、土地は桃山丘陵へ向かって高くなります。
さらに参道沿いには、伏見城の石垣に使われていたと伝えられる石も残されています。
御陵を訪れるときは陵墓だけを見るのではなく、「なぜこれほど高い場所なのか」「ここに伏見城があったころはどのような景色だったのか」と地形にも目を向けてみてください。
歴史の説明板を読むだけでは分からない桃山の姿が、自分の足で歩くことで見えてきます。
≫ 実際に歩いてみよう
伏見桃山陵は、御香宮神社や伏見城跡の歴史と組み合わせて歩くと、桃山という町がより立体的に見えてきます。
|おすすめ散策ルート
近鉄桃山御陵前駅・京阪伏見桃山駅周辺
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御香宮神社
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JR桃山駅周辺
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伏見桃山陵参道
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明治天皇伏見桃山陵
駅周辺の平地から御陵へ向かうにつれて、少しずつ高低差が大きくなっていきます。「桃山丘陵へ上っている」という感覚を味わいながら歩くのがおすすめです。
宮内庁によると、伏見桃山陵は原則として年間を通して参拝でき、通常の参拝時間は8時30分から17時です。行事や工事などによって参入が制限される場合があるため、訪問前には宮内庁の最新案内を確認してください。
宮内庁が案内する交通アクセスでは、JR桃山駅、京阪桃山南口駅からそれぞれ徒歩約20分です。
大きな石段があるため、歩きやすい靴がおすすめです。特に小さなお子さま連れや足腰に不安がある方は、無理のない範囲で散策してください。
陵墓は静かに参拝する場所です。参道では大声を控え、立入禁止区域には入らず、宮内庁の案内に従って歩きましょう。
≫ センチュリー21ホームサービス伏見桃山店からひとこと
桃山で住まいを探すとき、地図上の「駅徒歩○分」だけでは分かりにくいのが土地の高低差です。
近鉄桃山御陵前駅や京阪伏見桃山駅、大手筋周辺から東へ向かうと、桃山丘陵へ入るにつれて坂道が増えていきます。一方で、丘陵側には落ち着いた住宅地も広がっています。
同じ「桃山」という住所でも、駅までの実際の歩きやすさ、坂の勾配、道路幅、土地の高さ、買い物へ向かう経路などは場所によって異なります。
これは物件資料の数字だけでは分かりにくい部分です。実際に家を探すときには、駅から現地まで一度歩き、「帰り道は上りか下りか」「自転車で移動しやすいか」「毎日の買い物はどちらへ向かうか」まで確認すると、その場所での暮らしが想像しやすくなります。
伏見城も明治天皇陵も、この桃山丘陵の地形と深く関係しています。歴史を知ることが、現在の街を知ることにもつながる地域です。
≫ 編集後記
伏見桃山陵の前に立つと、そこは明治天皇の陵墓であると同時に、かつて豊臣秀吉の伏見城があった土地でもあることに気付きます。
さらに坂を下れば御香宮神社があり、その先には伏見の城下町から続く大手筋の町があります。一つの散策の中で、戦国、江戸、幕末、明治、そして現在の伏見を行き来できるのです。
次に桃山御陵前駅という名前を見たときには、「なぜ御陵前なのだろう」と少しだけ思い出してみてください。
いつもの駅名や坂道の向こうに、教科書だけでは見えてこない伏見の時間が重なっています。
≫ FAQ|明治天皇陵と伏見桃山についてよくある質問
Q1.明治天皇陵はなぜ東京ではなく京都の伏見桃山にあるのですか?
明治天皇自身が死後の陵を桃山に営むことを望んだという遺詔によるものとされています。明治天皇は京都で生まれ育っており、京都は人生の出発点でもありました。
Q2.明治天皇陵の正式名称は何ですか?
正式名称は「伏見桃山陵」で、「ふしみのももやまのみささぎ」と読みます。京都市伏見区桃山町古城山にあります。
Q3.明治天皇陵は伏見城跡にあるのですか?
はい。現在の伏見桃山陵周辺は、豊臣秀吉が築いた木幡山伏見城の本丸があった付近とされています。桃山では伏見城と明治天皇陵という二つの大きな歴史が同じ土地に重なっています。
Q4.明治天皇陵は一般の人も参拝できますか?
宮内庁によると、原則として年間を通して参拝でき、通常の参拝時間は8時30分から17時です。ただし、行事や工事などで参入できない場合があるため、訪問前に宮内庁の最新情報を確認してください。
Q5.伏見桃山陵の石段は何段ありますか?
京都市の文化遺産情報では230段と紹介されています。桃山丘陵の高低差を体感できる場所でもあるため、歩きやすい靴での参拝がおすすめです。
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