
≫ 天守が消えても、伏見城は「地面」と「道」の中に残っている
伏見城跡と聞くと、伏見桃山城運動公園の天守風建物や明治天皇伏見桃山陵の周辺を思い浮かべる方が多いかもしれません。
ところが、本物の伏見城の痕跡は、それだけではありません。桃山の住宅街を歩くと、寺の裏手に残る大きな土塁、坂の途中に現れる不自然な平坦地、昔の大名屋敷を区切った道路など、約430年前の城下町の「地形」が現在の暮らしの中に入り込んでいます。
さらに発掘調査では、現在の道路とほぼ同じ位置から大名屋敷の石垣まで確認されています。今回は天守ではなく、足元から伏見城を探す少しマニアックな桃山散策をご紹介します。
≫ 今回の秘密
この記事では、次のことが分かります。
・伏見城の土塁が現在の桃山の住宅地に残っていること
・伏見城の石垣の多くが地上から姿を消した理由
・現在の道路の下から大名屋敷の石垣が発見されていること
・桃山の坂道や段差に城下町造成の痕跡が残ること
・天守がなくても伏見城跡を楽しめる歩き方
≫ 秘密① 伏見城の「城壁」は、天守の近くだけにあったわけではない
伏見城というと、本丸や天守を石垣で囲んだ城を想像しがちです。しかし木幡山の伏見城は、その周囲に大名屋敷や町を配置し、さらに外側を「惣構」と呼ばれる防御線で囲む大規模な城下町でした。
惣構とは、城の中心だけでなく城下町の重要な部分まで、堀や土塁などで大きく囲う仕組みです。
京都市埋蔵文化財研究所の発掘調査では、伏見城の北側にあった惣構の土塁が桃山町正宗周辺で確認されています。
つまり、私たちが「伏見城跡」と聞いて思い浮かべる場所から離れた現在の住宅地にも、かつては巨大な城を守る防御施設が延びていたのです。
伏見城は一つの建物ではありません。桃山丘陵から現在の住宅地へ広がる、巨大な都市そのものだったと考えると、そのスケールが見えてきます。
≫ 秘密② 住宅街のお寺に、伏見城の土塁が今も残っている
伏見城の土塁を実際に感じられる貴重な場所の一つが、伏見区桃山町丹下にある曹洞宗の栄春寺です。
京都市埋蔵文化財研究所の調査報告では、伏見城惣構の北辺土塁について、地上でその姿を確認できる場所として栄春寺境内が挙げられています。
栄春寺も公式サイトで、寺の後方にある墓地の高まりが、豊臣秀吉時代の伏見城城下町を囲んだ惣構の土塁だと紹介しています。
土塁とは、敵の侵入を防ぐため土を盛り上げて造った防御施設です。
現在は木々や墓地の風景と一体になっているため、何も知らずに見ると単なる高台や斜面のように感じるかもしれません。しかし、その高まりの一部が約430年前の伏見城下町の防御線につながっているのです。
天守や櫓のような分かりやすい城郭建築ではなく、「土地そのもの」が文化財級の歴史を伝えているところが伏見城跡の面白さです。
なお、寺院や墓地は観光施設ではありません。見学する際は寺院の案内や立入り範囲に従い、墓地内へ無断で入り込むような行動は避けましょう。
≫ 秘密③ 石垣は消えたのではなく、地面の下から見つかっている
「伏見城には石垣がほとんど残っていない」と聞くと、もともと石垣が少ない城だったように感じるかもしれません。
実際にはそうではありません。伏見城が廃城になると建物だけでなく石材も運び出され、再利用されました。そのため、現在の地表では往時の石垣を確認しにくくなっています。
ところが地面を掘ると、話が変わります。
桃山の旧大名屋敷地で行われた発掘調査では、石垣の最下部や、石が抜き取られた跡、石垣を支えた裏込めなどが確認されています。
2015年度の京都市埋蔵文化財研究所の調査では、伊達街道に面した大名屋敷地から石垣の基底部が見つかりました。さらに、石垣があった位置と現在の道路端がほぼ重なることも確認されています。
地上から石垣が見えなくても、その位置関係は現在の町割りに受け継がれているのです。
また2021年にはJR桃山駅前の発掘調査で、指月城期と木幡山城期という異なる時期に関係する石垣が確認されました。
いつもの駅前や住宅地の地下に、伏見城の遺構が眠っている。これこそ、現在も人が暮らす城下町・伏見ならではの面白さです。
≫ 秘密④ 桃山の「妙に平らな住宅地」も、城づくりの痕跡だった
桃山の住宅街を歩くと、坂を上っていたはずなのに、突然平らな場所が広がることがあります。そして少し進むと、また大きな高低差が現れます。
そのすべてを伏見城由来と断定することはできませんが、発掘調査からは、伏見城下の大名屋敷を造るため桃山丘陵の斜面を大規模に造成していたことが分かっています。
斜面を削り、その土を使って低い側を埋め、階段のような「ひな壇」を造る。そして平らになった土地に大名屋敷を配置する方法です。
京都市埋蔵文化財研究所の調査では、こうしたひな壇状の造成とともに、道路に面して屋敷を区切る石垣も確認されています。
つまり伏見城を探すとき、石や瓦だけを見る必要はありません。
坂道、擁壁、高低差、道路より一段高い宅地、急に現れる平坦面。その背景にある地形を観察することも、城下町を読み解く方法なのです。
ただし、現在の擁壁や石積みを見て「これは伏見城の石垣だ」と判断することはできません。後世に造られたものも多いため、確認された遺構と現在の構造物は分けて考える必要があります。
≫ 秘密⑤ 400年前の大名屋敷の境界が、現在の道路に重なる場所がある
今回のテーマで最も「へぇ!」となるのが、伏見城下町の区画と現在の住宅地との関係です。
発掘調査では、伊達街道沿いなどで大名屋敷を区切った石垣や溝が確認され、その位置が現在の道路端とほぼ重なる場所があることが分かっています。
京都市埋蔵文化財研究所は、調査地周辺の街区について、伏見城下町が整備されてから400年以上を経た現在も、その区画がほぼ踏襲されていると報告しています。
建物は建て替わり、石垣は地中へ消え、人々の暮らしも大きく変わりました。それでも「土地の区切り方」が残ったのです。
不動産の仕事では、道路と土地の境界や高低差、敷地の形を細かく確認します。
桃山では、そうした現代の不動産を見るための情報をたどっていくと、思いがけず安土桃山時代の都市計画へ行き着くことがあります。
伏見城の最大の遺構は、一個の石ではなく「町の形」なのかもしれません。
≫ 地元民しか知らない豆知識
|伏見城には、宇治川から船で直接入れる「舟入」があった
伏見城は山の上だけで完結した城ではありませんでした。
京都市の資料によると、城の南東側には宇治川から船を横付けできる「舟入」が設けられ、その付近には学問所と呼ばれる茶亭もありました。
驚くのは、その痕跡が現在の桃山町丹後付近の地形にも残っていることです。
京都市は、南北約300メートル、東西約90メートルの窪地として舟入の遺構が残ると紹介しています。
伏見城を探すというと、どうしても「高いところ」ばかり見てしまいます。しかし実は、低く窪んだ土地も城の痕跡です。
高い土塁、段々になった大名屋敷、低く掘り込まれた舟入。伏見城は、桃山丘陵全体の高低差を巧みに利用した巨大な都市だったことが分かります。
≫ 実際に歩いてみよう
|おすすめ散策ルート
京阪丹波橋駅・近鉄丹波橋駅
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桃山町丹下・栄春寺周辺
↓
桃山町正宗周辺
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桃山の大名屋敷跡の町割り
↓
JR桃山駅周辺
↓
御香宮神社
↓
近鉄桃山御陵前駅・京阪伏見桃山駅
今回の散策では「古い石垣をたくさん見る」ことを目的にするより、高低差と道路の位置を観察するのがおすすめです。
桃山町正宗周辺では、伏見城惣構の北辺土塁が発掘調査された歴史を頭に入れながら、丘陵と住宅地の高さを見比べてみてください。
JR桃山駅周辺では、現在は普通の駅前に見える場所から伏見城に関係する石垣が発見されたことを思い出すと、足元を見る感覚が変わります。
|所要時間と歩くときの注意
ゆっくり地形を観察しながら歩くなら、1時間30分から2時間程度をみておくとよいでしょう。
桃山丘陵にかかるため坂道があります。ベビーカーや小さなお子さまと歩く場合は、無理に坂道や細い道へ入らず、歩きやすい道路を選んでください。
また今回のルートには住宅地、寺院、墓地周辺が含まれます。私有地には立ち入らず、住宅や墓地にカメラを向けない、大声で話さない、狭い道路では通行を妨げないなど、暮らしている方への配慮を忘れないようにしましょう。
≫ センチュリー21ホームサービス伏見桃山店からひとこと
桃山の物件を見るとき、駅からの徒歩分数だけでは分からない大切なポイントが「高低差」です。同じ駅徒歩圏でも、平坦な場所と坂を上った場所では、毎日の自転車利用や買い物、ベビーカーでの移動などの感覚が変わります。
さらに桃山では、道路より宅地が高い場所、坂の途中で急に平らになる場所、昔からの細い道などがあり、その背景に伏見城下町以来の地形や町割りが関係している場合もあります。
もちろん、現在の土地の形をすべて伏見城と結び付けることはできません。しかし「なぜこの土地は一段高いのだろう」「なぜこの道だけ曲がっているのだろう」と現地を見ることは、不動産選びでも大切です。
物件資料の数字だけでなく、実際に道を歩き、坂や道路幅、周囲との高低差まで見る。歴史の町・伏見では、そんな現地確認から街の個性がよく見えてきます。
≫ 編集後記
お城を見に行くというと、天守や立派な石垣を期待します。でも伏見城跡を歩いていると、だんだん「何もないように見える場所」が面白くなってきます。
寺の後ろの高まり、坂の途中の平らな住宅地、何気ない道路の境界。その地下から石垣が見つかり、400年前の町割りが現在の道へつながっていると知れば、住宅街そのものが大きな歴史資料に見えてきます。
次に桃山を歩くときは、建物だけでなく少し地面を見てみてください。伏見城は消えたのではなく、今の街の形になって残っているのかもしれません。
≫ FAQ|伏見城の土塁・石垣についてよくある質問
Q1.伏見城の土塁は現在も残っていますか?
はい。京都市埋蔵文化財研究所の調査では、伏見城惣構の北辺土塁の遺構が確認されています。栄春寺も、寺の後方に残る高まりを伏見城城下町の惣構の土塁として紹介しています。
Q2.桃山の住宅街にある古そうな石垣は伏見城の石垣ですか?
見た目だけでは判断できません。伏見城や大名屋敷に関係する石垣は発掘調査で確認されていますが、現在地上に見える石積みや擁壁には後世に造られたものもあります。安易に伏見城の遺構と断定しないことが大切です。
Q3.なぜ伏見城の石垣はあまり残っていないのですか?
伏見城は江戸時代初期に廃城となり、建物や石材が各地で再利用されました。そのため地上に残る石垣は少なく、発掘によって基底部や石を抜き取った跡が確認されるケースがあります。
Q4.伏見城跡は現在どこにありますか?
1596年の地震後に築かれた木幡山伏見城の中心部は、現在の明治天皇伏見桃山陵周辺にあたります。ただし城下町や大名屋敷、惣構まで含めると、その痕跡は桃山の広い範囲に及びます。
Q5.伏見城跡は自由に散策できますか?
公道や一般に立入り可能な場所から街の高低差や町割りを観察できます。ただし住宅地や寺院、墓地、陵墓地などには立入りが制限される場所があります。私有地へ入らず、各施設の案内と地域の暮らしに配慮して楽しみましょう。
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