
≫ 鹿児島の英雄・西郷隆盛。その足跡は、実は伏見の住宅街や寺にも残っています
西郷隆盛と聞くと、鹿児島や江戸城無血開城、西南戦争を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
ところが京都市伏見区を歩いてみると、西郷と深く結び付く場所がいくつもあります。薩摩藩の伏見屋敷、大黒寺、寺田屋、そして鳥羽・伏見の戦いです。
しかも西郷は、単に「薩摩藩の有名人だから伏見とも関係がある」という程度ではありません。伏見を訪れ、幕末の重要人物を迎え、薩摩藩士の墓にも深く関わりました。
今回は、西郷隆盛と伏見の意外なつながりを、現在の街に残る痕跡と一緒にたどってみます。
≫ 今回の秘密
この記事では、次のことが分かります。
・西郷隆盛は実際に伏見へ来ていたこと
・1862年の寺田屋騒動と西郷には意外な「すれ違い」があること
・伏見の大黒寺には西郷と薩摩藩の濃い記憶が残っていること
・1866年、西郷は伏見で長州藩の木戸孝允を迎えていること
・現在も薩摩藩伏見屋敷跡などを歩いてたどれること
≫ 秘密① 西郷隆盛は、本当に伏見へ来ていた
最初に結論をお伝えすると、西郷隆盛は実際に伏見と深く関わり、伏見を訪れたことが史料や公的な地域資料から確認できます。
現在の伏見区鷹匠町にある大黒寺について、京都市は「幕末に西郷隆盛などの志士が国事を論じたという一室がある」と紹介しています。また、京都市伏見区の資料には、一時期、西郷が大黒寺に住んでいたといわれ、大久保利通が訪れて長州藩との関係について話し合ったとの記述もあります。
さらに1866年、長州藩の木戸孝允(当時は桂小五郎)が薩長の連携を進めるため京都へ向かった際、淀川を上って伏見へ入りました。その伏見の薩摩藩邸で木戸を迎えた人物の一人が、西郷吉之助、のちの西郷隆盛でした。
鹿児島と京都という遠く離れた二つの地域を結ぶ途中に、伏見が重要な「入口」として存在していたのです。
≫ 秘密② 寺田屋騒動で有名な西郷だが、その場にはいなかった
ここは少し意外なポイントです。
文久2年(1862年)4月23日、伏見の寺田屋で薩摩藩士同士が衝突する「寺田屋騒動」が起こりました。有馬新七ら急進派の薩摩藩士が集まったところへ、島津久光が派遣した藩士たちが説得に向かい、話し合いが決裂して斬り合いとなった事件です。
西郷も当時の薩摩藩内の動きと無関係ではありませんでした。しかし、西郷自身が寺田屋で斬り合いに加わったわけではありません。
西郷は急進的な動きを抑えようと動いたものの、島津久光の命令に背いて独自に行動したとして久光の怒りを買い、寺田屋騒動が起こる前に身柄を押さえられ、のちに再び島流しとなりました。
つまり「西郷隆盛と寺田屋」は深くつながっている一方、「西郷が寺田屋騒動の現場にいた」と考えるのは正確ではありません。
幕末の伏見を知るときは、「寺田屋=坂本龍馬」だけでなく、薩摩藩内部の対立と、その背後にいた西郷たちの動きまで見ると、歴史が一気に立体的になります。
≫ 秘密③ 大黒寺には「西郷隆盛の文字」が今も残る
寺田屋騒動で命を落とした薩摩藩士たちは、伏見区鷹匠町の大黒寺に葬られました。
大黒寺はもともと長福寺と呼ばれていましたが、江戸時代初期に薩摩藩島津家の祈願所となり、「薩摩寺」とも呼ばれるほど薩摩藩と深い関係を持つ寺院です。
境内には有馬新七ら「伏見寺田屋殉難九烈士」の墓があります。京都市公式観光情報では、西郷隆盛が建てたという墓碑が残ると紹介されており、九烈士の墓の文字も西郷の筆によるものと伝えられています。
ここが西郷と伏見を結ぶ、現在でも確認しやすい痕跡の一つです。
さらに大黒寺には、西郷隆盛や大久保利通らが国事について話し合ったとされる部屋も残されています。
鹿児島から遠く離れた伏見の小さな寺に、西郷、大久保、寺田屋騒動、薩摩藩という幕末史の重要な要素が集中しているのです。
≫ 秘密④ 1866年、西郷は伏見で木戸孝允を迎えていた
西郷と伏見の関係で特に興味深いのが、慶応2年(1866年)の出来事です。
当時、薩摩藩と長州藩は関係改善を進めていました。長州側の中心人物だった木戸孝允は、大坂から淀川を船で上り、伏見へ入ります。
木戸に関する伝記資料には、伏見へ到着すると、西郷吉之助や村田新八らが伏見の薩摩藩邸で迎えたことが記されています。
その後、一行は京都へ向かい、薩長同盟につながる重要な交渉が進んでいきました。
ここで注目したいのは、「なぜ伏見だったのか」です。
当時の伏見は、大坂から淀川を船で上って京都へ向かう際の重要な中継地点でした。現在のように鉄道で京都駅へ直接入る時代ではありません。
つまり伏見は、単なる京都郊外ではなく、人、情報、物資が京都へ入っていく「南の玄関口」でした。西郷や木戸の足跡も、伏見が交通の要衝だったからこそ残っているのです。
≫ 秘密⑤ 坂本龍馬を救った「伏見の薩摩藩邸」にも西郷がつながる
現在の伏見区東境町付近には、薩摩島津伏見屋敷跡の石碑があります。
この伏見屋敷は、薩摩藩主らが参勤交代の際に利用する宿所でもありました。幕末には、薩摩藩が京都と大坂を行き来するうえで重要な拠点になります。
そして慶応2年(1866年)、寺田屋で伏見奉行所の捕方に襲撃され負傷した坂本龍馬は、薩摩藩の舟に救出され、この伏見屋敷にかくまわれました。
このとき西郷は京都側から医師を差し向け、さらに藩兵を伏見へ送るなど、龍馬の保護に関わったことが伝えられています。
寺田屋、坂本龍馬、西郷隆盛、薩長同盟。教科書では別々に登場する人物や出来事が、伏見の町を地図にして見ると一本の線につながります。
現在の濠川周辺を歩きながら当時の水路を意識すると、伏見が幕末の人々にとってどれほど重要な場所だったのかが見えてきます。
≫ 地元民しか知らない豆知識
|西郷の伏見での足跡は「寺田屋」より大黒寺の方が直接感じやすい
「西郷隆盛と伏見」と聞くと、寺田屋を思い浮かべるかもしれません。
しかし西郷本人の足跡を探すなら、注目したいのは大黒寺です。
京都市は、大黒寺に西郷隆盛らが国事を論じたとされる一室が残ることを紹介しています。さらに九烈士の墓碑にも西郷との関係が伝えられています。
そして大黒寺からそれほど離れていない東境町には、薩摩島津伏見屋敷跡の石碑があります。
つまり伏見桃山の市街地を歩くだけで、「薩摩藩の寺」と「薩摩藩の屋敷」という二つの拠点をたどることができます。
現在は住宅や日常の道路が広がる場所ですが、約160年前には西郷、大久保、木戸、龍馬らにつながる人々が行き交っていました。地元の方にもぜひ知っていただきたい伏見の一面です。
≫ 実際に歩いてみよう
|西郷隆盛と薩摩藩の伏見をたどる散策ルート
京阪中書島駅
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寺田屋周辺
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濠川・旧伏見港周辺
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薩摩島津伏見屋敷跡の石碑
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大黒寺
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京阪丹波橋駅・近鉄丹波橋駅周辺
寺田屋からスタートすると、まず1862年の寺田屋騒動と1866年の坂本龍馬襲撃事件という、二つの異なる出来事を知ることができます。
そこから水辺を歩き、東境町の薩摩島津伏見屋敷跡へ。ここでは「大坂から船で伏見へ入り、京都へ向かう」という幕末の交通を想像してみてください。
最後に大黒寺へ向かえば、九烈士の墓や薩摩藩との深いつながりを知ることができます。
ゆっくり史跡を確認しながら歩くなら、1時間30分から2時間ほど見ておくとよいでしょう。春や秋は水辺と街歩きを組み合わせやすい季節です。
大黒寺は現在も信仰の場です。通常非公開の場所もあるため、公開されていない建物内部への立入りはせず、現地の案内に従って静かに見学しましょう。また、薩摩藩邸跡周辺は現在の住宅地でもありますので、通行や近隣の方の生活を妨げないように散策してください。
≫ センチュリー21ホームサービス伏見桃山店からひとこと
西郷隆盛の足跡を歩いてみると、伏見の歴史と現在の暮らしが同じ場所に重なっていることに気付きます。
中書島や伏見桃山周辺は水辺に近い比較的平坦な場所が多い一方、丹波橋方面や桃山丘陵へ向かうにつれて、街の高低差や道路の雰囲気も変わります。京阪・近鉄・JRなど複数の鉄道を利用できる地域がありますが、同じ「伏見桃山・丹波橋周辺」でも駅までの道の勾配、道幅、交通量、買い物動線は場所によって違います。
住まいを探すときは、駅からの徒歩分数だけを見るのではなく、実際に駅から物件まで歩いてみることが大切です。歴史を探しながら歩くと、地図だけでは分からない街の高低差や道のつながりまで自然に見えてきます。
≫ 編集後記
西郷隆盛という人物を知っていても、「西郷が伏見のどこを歩いたのか」と考えたことのある方は、それほど多くないかもしれません。
けれど大黒寺から薩摩藩伏見屋敷跡、寺田屋へと歩いてみると、西郷、大久保、木戸、龍馬といった人物が、急に教科書の中だけの存在ではなくなります。
彼らが動いた背景には、京都と大坂を水路と街道で結んでいた伏見という町がありました。
次に伏見を歩くときは、酒蔵や水辺だけでなく、住宅街の中に残る「薩摩」の痕跡にも少し目を向けてみてください。いつもの道の向こうに、幕末の伏見が見えてくるかもしれません。
≫ FAQ|西郷隆盛と伏見についてよくある質問
Q1.西郷隆盛は本当に京都市伏見区へ来ていたのですか?
はい。西郷隆盛が伏見と関わった記録や伝承は複数あります。1866年には伏見の薩摩藩邸で長州藩の木戸孝允を迎えたことが伝記資料に記され、大黒寺にも西郷が国事を論じたとされる部屋が残っています。
Q2.西郷隆盛は寺田屋騒動に参加したのですか?
いいえ。1862年の寺田屋騒動が起こる前、西郷は急進派の動きを抑えようと独自に行動したことで島津久光の怒りを買い、身柄を押さえられていました。そのため、寺田屋での斬り合いそのものに西郷が参加したわけではありません。
Q3.伏見で西郷隆盛との関係を最も感じられる場所はどこですか?
代表的なのは伏見区鷹匠町の大黒寺です。薩摩藩の祈願所で、西郷隆盛らが国事を論じたとされる部屋や、寺田屋騒動で亡くなった九烈士の墓があります。
Q4.薩摩藩の伏見屋敷は現在も残っていますか?
屋敷の建物そのものは残っていませんが、伏見区東境町に「薩摩島津伏見屋敷跡」の石碑があります。坂本龍馬が寺田屋で負傷した後に保護された場所としても知られています。
Q5.西郷隆盛と鳥羽・伏見の戦いにはどんな関係がありますか?
西郷は薩摩藩の軍事・政治面の中心人物として新政府側の動きに深く関わっていました。鳥羽・伏見の戦いでは薩摩・長州などの新政府軍と旧幕府軍が衝突し、伏見では御香宮神社周辺と伏見奉行所周辺などが戦場となりました。
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