Vol.35 ▶ 「深草」は万葉集にも登場する?



≫ じつは“深草”より先に「伏見」が詠まれていた

 

京阪電車の駅名や住所として、毎日のように目にする「深草」。

これほど古そうな地名なら、日本最古の歌集『万葉集』にも登場しそうです。

ところが調べてみると、答えは少し意外でした。

『万葉集』の標準的な本文では、現在の地名としての「深草」は確認できません。

その一方で、伏見は雁が渡る水辺として詠まれていました。

さらに時代が下ると、深草はウズラの声と秋風が似合う「歌の里」へと育っていきます。

今回は、万葉集から『伊勢物語』、藤原俊成、そして現在の街並みまで、深草に積み重なった言葉の歴史をたどります。

 


 

≫ 今回の秘密

 

この記事で分かること

  • 『万葉集』に地名の「深草」が登場するのか
  • 『万葉集』に詠まれた伏見は、どのような場所だったのか
  • 「深草」が古い記録に初めて現れる時期
  • 深草とウズラが結び付いた理由
  • 藤原俊成や荷田春満と深草の関係

 


 

≫ 秘密①|結論、「深草」は万葉集に直接登場しない?

 

『万葉集』は、全20巻に4,500首余りを収める、現存する日本最古の歌集です。

主に7世紀前半から8世紀中頃までの歌が収められています。

奈良県立万葉文化館のデータベースなどで本文と地名を確認すると、現在の伏見区にある地名としての「深草」は、少なくとも標準的な本文・地名整理では確認できません。

ただし、検索すると、よく似た言葉が見つかります。

道の辺の草深百合の後にとふ妹が命を我知らめやも

巻11・2467番の歌です。

「草深百合」は「くさぶかゆり」と読み、草が深く茂るところに咲くユリを表します。

「深草」という地名ではありません。データベースでも、この歌に詠み込まれた地名は「不明」とされています。

漢字だけを見ると「深草百合」と読みたくなりますが、語順も読み方も違うのです。

これが、「深草は万葉集に登場する」と思われやすい一つの理由かもしれません。

 


 

≫ 秘密②|深草ではなく「伏見」は詠まれていた

 

深草の名は見当たりませんが、「伏見」は『万葉集』に登場します。

巻9・1699番、柿本人麻呂歌集に収められた歌です。

巨椋の入江とよむなり
射目人の伏見が田居に雁渡るらし

巨椋池の入江に、雁の鳴き声が響いている。

伏見の田んぼへ、雁の群れが渡ってきたらしい そのような情景です。

現在の伏見からは、広い水面や雁が群れ飛ぶ景色を想像しにくいかもしれません。

しかし古代の伏見は、巨大な巨椋池の北側に位置し、水辺と田園が広がる土地でした。

ここで大切なのは、この歌の「伏見」が、現在の深草だけを指しているわけではないことです。

巨椋池北辺の、より広い伏見の風景と考えるのが正確でしょう。

それでも、現在の伏見区が日本最古の歌集に名を残していることには、少し誇らしい気持ちになります。

酒蔵や伏見城が造られるより、はるか昔。

伏見はすでに、水音と鳥の声で記憶される場所だったのです。

 


 

≫ 秘密③|「深草」の名は『日本書紀』に残っていた

 

「万葉集にないなら、深草という地名はもっと新しいの?」

そう思うかもしれませんが、逆です。

京都市の深草アーカイブでは、「深草」の地名が初めて記録に現れる文献を『日本書紀』と紹介しています。

欽明天皇に関する記述には「山背国紀郡深草里」、皇極天皇2年(643年)の記述には「深草屯倉」という名が出てきます。

「屯倉」とは、朝廷が管理した土地や倉に関係する言葉です。

ここで、一つ注意したいことがあります。

『日本書紀』が完成したのは養老4年(720年)です。

つまり、6~7世紀の出来事を、8世紀にまとめた歴史書に「深草」の名が記されているということです。

「6世紀に書かれた文書がそのまま残っている」という意味ではありません。

それでも、深草が古代の重要な地名として記憶されていたことは確かです。

深草は『万葉集』に採用されなかっただけで、万葉の時代に名もない原野だったわけではないのです。

 


 

≫ 秘密④|深草を「ウズラの里」にした『伊勢物語』

 

深草が文学の舞台として鮮やかな姿を見せるのは、平安時代の『伊勢物語』第123段です。

物語では、深草で一緒に暮らしていた女性に飽きた男が、ここを出ていけば、深草はいっそう草深い野になるだろうと歌います。

すると女性は、こう返しました。

野とならば鶉となりて鳴きをらむ
かりにだにやは君は来ざらむ

もし野原になったなら、私はウズラになって鳴いていましょう。

そうすれば、あなたも狩りにだけは来てくれるでしょう――という切ない歌です。

ここには、いくつもの言葉遊びがあります。

「深草」と「草深い野」。

ウズラが「鳴く」と女性が「泣く」。

一時的という意味の「仮り」と、鳥を捕らえる「狩り」。

女性の返歌に心を動かされた男は、出ていくことをやめます。

たった一首の歌が、人の心を引き止めたのです。

この物語によって、深草は「ウズラが鳴く、少し寂しい野の里」というイメージを持つようになりました。

地名を聞くだけで決まった景色や物語が浮かぶ場所を、和歌の世界では「歌枕」と呼びます。

深草は、まさに文学が育てた歌枕でした。

 


 

≫ 秘密⑤|藤原俊成が深草の秋を完成させた

 

『伊勢物語』の深草を、さらに有名にした歌人が藤原俊成です。

夕されば野辺の秋風身にしみて
うづら鳴くなり深草の里

夕方になると、野を渡る秋風が身にしみる。

その風の中から、ウズラの鳴き声が聞こえてくる――という歌です。

『千載和歌集』秋歌上・259番に収められています。

俊成は、『伊勢物語』の女性とウズラの記憶を重ねながら、深草の寂しさを一枚の風景画のように描きました。

俊成は『千載和歌集』の選者で、『小倉百人一首』の選者として知られる藤原定家の父でもあります。

没後は、深草願成町の高台に葬られたと伝わり、現在も墓所が残っています。

さらに深草は、別の形でも『万葉集』と結ばれています。

伏見稲荷の神官の家に生まれた荷田春満は、『万葉集』『古事記』『日本書紀』などを研究し、近世国学の先駆者となりました。

その生家とされる建物は、伏見稲荷大社楼門の南側に「荷田春満旧宅」として残り、国の史跡に指定されています。

『万葉集』に深草の地名は見つからない。

けれど、何百年も後の深草で、その『万葉集』を読み直し、日本の古典を未来へつないだ人が生まれた。

これも深草と万葉集の、忘れてはいけない関係です。

 


 

≫ 実際に歩いてみよう

 

|おすすめ散策ルート

京阪鳥羽街道駅

藤原俊成卿墓道の石標

藤原俊成の墓所

本町通周辺の町並み

伏見稲荷大社

荷田春満旧宅・東丸神社

JR稲荷駅または京阪伏見稲荷駅

歩く距離はおおむね2~3キロ。

墓所や伏見稲荷大社をゆっくり見ると、90分から2時間ほどです。

俊成の墓所は住宅地の奥にあります。狭い道や階段があるため、歩きやすい靴で訪れましょう。

墓所では大声を出さず、近隣住宅や参拝者が写り込まないよう配慮してください。

 

|おすすめの季節

最も似合うのは、やはり秋です。

夕方の光が草木を照らす時間帯に歩くと、俊成が詠んだ「秋風」の感覚に少し近づけます。

ただし、墓所周辺は暗くなる前に歩き終えましょう。

春は疏水沿いの桜や新緑も楽しめます。

 

|写真スポット

  • 藤原俊成卿墓道の古い石標
  • 琵琶湖疏水と京阪電車
  • 伏見稲荷大社楼門南側の荷田春満旧宅
  • 本町通に残る町家や緩やかな坂道
  • 秋の夕日に照らされる稲荷山の山並み

 

|子どもと歩くなら

『伊勢物語』に隠された言葉遊びを探してみましょう。

「深草」と「草深い」、「鳴く」と「泣く」、「狩り」と「仮り」。

昔の人も、現代のなぞなぞのように言葉の音を楽しんでいました。

住宅地には車の通る細い道があり、墓所へは階段もあります。小さなお子さま連れの場合は、手をつないで歩いてください。

京都市が整備する深草トレイルと組み合わせるのもおすすめです。

 


 

≫ 地元民しか知らない豆知識

 

深草願成町には、「藤原俊成卿墓道」と刻まれた明治36年(1903年)建立の石標が残っています。

今でいう案内標識ですが、住宅地の風景に溶け込んでいるため、気付かず通り過ぎる人も少なくありません。

そして、深草と万葉集を直接つなぐ場所は、万葉歌碑ではなく、江戸時代の研究者・荷田春満の旧宅です。

「万葉集に深草は出てこないのに、深草に万葉集研究の歴史が残っている」。

この少しねじれた関係こそ、地元の人にも知っていただきたい深草の秘密です。

 


 

≫ センチュリー21ホームサービス伏見桃山店からひとこと

 

深草は、歴史の深さと日常の便利さが近い距離にある街です。

京都市の移住・定住情報でも、京阪・JR・地下鉄の3路線が利用でき、スーパー、商店街、医療機関などがそろう地域として紹介されています。

龍谷大学や京都教育大学があり、学生の活気を感じられる一方、稲荷山に近い住宅地では落ち着いた空気も残っています。

ただし、同じ「深草」でも、駅に近い平坦な場所と、東側の坂が多い場所では暮らし方が変わります。

道幅、坂道、踏切、買い物先までの経路、学校区などは、住所ごとに確認することが大切です。

物件資料の「駅徒歩○分」だけでは分からない魅力や注意点があります。

朝、夕方、雨の日にも実際の道を歩いてみると、その場所での暮らしが具体的に見えてきます。

 


 

≫ 編集後記

 

「深草は万葉集にも出てくる」と思って調べ始めたら、そのままの地名は見つかりませんでした。

けれど、そこで終わらないのが深草の面白さです。

万葉集には水辺の伏見があり、『日本書紀』には深草里があり、『伊勢物語』では女性がウズラになって恋人を待ち、藤原俊成はその声を秋風の中に聞きました。

さらに江戸時代には、荷田春満がこの地で古典研究の道を開きます。

深草を歩くとき、実際にウズラの声は聞こえなくても、昔の人が残した言葉は今も聞こえてきます。

古典は遠い昔の話ではありません。

いつもの駅名や坂道の中に、静かに生き続けているのです。

 


 

≫ FAQ

 

Q1.「深草」は万葉集に登場しますか?

現在使われている地名としての「深草」は、標準的な万葉集本文や地名整理では確認できません。一方、現在の伏見区につながる「伏見」は、巻9・1699番の歌に登場します。

Q2.「草深百合」は京都市伏見区の深草を意味しますか?

「草深百合」は「くさぶかゆり」と読み、草が深く茂る場所に咲くユリを表します。地名の「深草」を意味する言葉ではありません。

Q3.深草という地名の最古の記録は何ですか?

京都市の資料では、『日本書紀』が最初の記録とされています。「山背国紀郡深草里」や「深草屯倉」という表記が見られます。ただし、『日本書紀』自体が完成したのは720年です。

Q4.深草とウズラはなぜ結び付いているのですか?

『伊勢物語』第123段で、深草に残される女性が「野となったらウズラになって鳴いて待つ」と歌ったことが大きな理由です。その後、藤原俊成など多くの歌人が、深草とウズラを結び付けて詠みました。

Q5.深草で文学散歩をするならどこがおすすめですか?

藤原俊成の墓所、伏見稲荷大社、荷田春満旧宅を結ぶコースがおすすめです。京阪鳥羽街道駅から歩き始め、JR稲荷駅または京阪伏見稲荷駅を終点にすると、90分から2時間ほどで巡れます。

 

 

関連記事

 

センチュリー21
ホームサービス
伏見桃山店
○近鉄京都線
 「
近鉄丹波橋」駅 徒歩2
○京阪本線
 「
丹波橋」駅 徒歩3
京都市伏見区の不動産会社、センチュリー21ホームサービス伏見桃山店
〒612-0072
京都市伏見区桃山筒井伊賀東町47-3 シャトー桃山1F

センチュリー21ホームサービス伏見桃山店の連絡先です。お客様専用のフリーダイヤルです。不動産に関することを何なりとご相談ください。
TEL:075-612-3721
FAX:075-612-3821

営業時間:9:30~18:30
定休日:水曜・第1第3火曜

まちむすび伏見は、京都市伏見区で暮らすママさんたちが地域の魅力や暮らしに役立つ情報を発信する地域情報ブログです。  子育て中のご家族に役立つ公園やイベント情報、学校や習い事の話題、おすすめのお店やグルメ情報、地域の季節行事など、実際に伏見区で生活しているママさんだからこそ分かる「リアルな地域情報」をお届けしています。

不動産の売却や査定、買取り、購入に関する不動産コラムです。京都市の地域に根差した情報を公開しています。

暮らす人目線で伝える京都市伏見区100の秘密をコラムで発信します。

中古物件を売りたい、買いたい、あなたのための安心サポート、住まいるサポート21

新しい不動産買取サービス、らくらく住み替え。スムーズな自宅売却・新居購入が可能!ローンや引っ越しなど、住み替えの問題を丸ごと解決できます。



センチュリー21ホームサービス 伏見桃山店 Instagram

センチュリー21ホームサービスの求人情報です。営業、事務のお仕事にご興味の方、是非ごらんください。。一緒に働く仲間を大募集しております。