
≫ じつは“深草”より先に「伏見」が詠まれていた
京阪電車の駅名や住所として、毎日のように目にする「深草」。
これほど古そうな地名なら、日本最古の歌集『万葉集』にも登場しそうです。
ところが調べてみると、答えは少し意外でした。
『万葉集』の標準的な本文では、現在の地名としての「深草」は確認できません。
その一方で、伏見は雁が渡る水辺として詠まれていました。
さらに時代が下ると、深草はウズラの声と秋風が似合う「歌の里」へと育っていきます。
今回は、万葉集から『伊勢物語』、藤原俊成、そして現在の街並みまで、深草に積み重なった言葉の歴史をたどります。
≫ 今回の秘密
この記事で分かること
- 『万葉集』に地名の「深草」が登場するのか
- 『万葉集』に詠まれた伏見は、どのような場所だったのか
- 「深草」が古い記録に初めて現れる時期
- 深草とウズラが結び付いた理由
- 藤原俊成や荷田春満と深草の関係
≫ 秘密①|結論、「深草」は万葉集に直接登場しない?
『万葉集』は、全20巻に4,500首余りを収める、現存する日本最古の歌集です。
主に7世紀前半から8世紀中頃までの歌が収められています。
奈良県立万葉文化館のデータベースなどで本文と地名を確認すると、現在の伏見区にある地名としての「深草」は、少なくとも標準的な本文・地名整理では確認できません。
ただし、検索すると、よく似た言葉が見つかります。
道の辺の草深百合の後にとふ妹が命を我知らめやも
巻11・2467番の歌です。
「草深百合」は「くさぶかゆり」と読み、草が深く茂るところに咲くユリを表します。
「深草」という地名ではありません。データベースでも、この歌に詠み込まれた地名は「不明」とされています。
漢字だけを見ると「深草百合」と読みたくなりますが、語順も読み方も違うのです。
これが、「深草は万葉集に登場する」と思われやすい一つの理由かもしれません。
≫ 秘密②|深草ではなく「伏見」は詠まれていた
深草の名は見当たりませんが、「伏見」は『万葉集』に登場します。
巻9・1699番、柿本人麻呂歌集に収められた歌です。
巨椋の入江とよむなり
射目人の伏見が田居に雁渡るらし
巨椋池の入江に、雁の鳴き声が響いている。
伏見の田んぼへ、雁の群れが渡ってきたらしい そのような情景です。
現在の伏見からは、広い水面や雁が群れ飛ぶ景色を想像しにくいかもしれません。
しかし古代の伏見は、巨大な巨椋池の北側に位置し、水辺と田園が広がる土地でした。
ここで大切なのは、この歌の「伏見」が、現在の深草だけを指しているわけではないことです。
巨椋池北辺の、より広い伏見の風景と考えるのが正確でしょう。
それでも、現在の伏見区が日本最古の歌集に名を残していることには、少し誇らしい気持ちになります。
酒蔵や伏見城が造られるより、はるか昔。
伏見はすでに、水音と鳥の声で記憶される場所だったのです。
≫ 秘密③|「深草」の名は『日本書紀』に残っていた
「万葉集にないなら、深草という地名はもっと新しいの?」
そう思うかもしれませんが、逆です。
京都市の深草アーカイブでは、「深草」の地名が初めて記録に現れる文献を『日本書紀』と紹介しています。
欽明天皇に関する記述には「山背国紀郡深草里」、皇極天皇2年(643年)の記述には「深草屯倉」という名が出てきます。
「屯倉」とは、朝廷が管理した土地や倉に関係する言葉です。
ここで、一つ注意したいことがあります。
『日本書紀』が完成したのは養老4年(720年)です。
つまり、6~7世紀の出来事を、8世紀にまとめた歴史書に「深草」の名が記されているということです。
「6世紀に書かれた文書がそのまま残っている」という意味ではありません。
それでも、深草が古代の重要な地名として記憶されていたことは確かです。
深草は『万葉集』に採用されなかっただけで、万葉の時代に名もない原野だったわけではないのです。
≫ 秘密④|深草を「ウズラの里」にした『伊勢物語』
深草が文学の舞台として鮮やかな姿を見せるのは、平安時代の『伊勢物語』第123段です。
物語では、深草で一緒に暮らしていた女性に飽きた男が、ここを出ていけば、深草はいっそう草深い野になるだろうと歌います。
すると女性は、こう返しました。
野とならば鶉となりて鳴きをらむ
かりにだにやは君は来ざらむ
もし野原になったなら、私はウズラになって鳴いていましょう。
そうすれば、あなたも狩りにだけは来てくれるでしょう――という切ない歌です。
ここには、いくつもの言葉遊びがあります。
「深草」と「草深い野」。
ウズラが「鳴く」と女性が「泣く」。
一時的という意味の「仮り」と、鳥を捕らえる「狩り」。
女性の返歌に心を動かされた男は、出ていくことをやめます。
たった一首の歌が、人の心を引き止めたのです。
この物語によって、深草は「ウズラが鳴く、少し寂しい野の里」というイメージを持つようになりました。
地名を聞くだけで決まった景色や物語が浮かぶ場所を、和歌の世界では「歌枕」と呼びます。
深草は、まさに文学が育てた歌枕でした。
≫ 秘密⑤|藤原俊成が深草の秋を完成させた
『伊勢物語』の深草を、さらに有名にした歌人が藤原俊成です。
夕されば野辺の秋風身にしみて
うづら鳴くなり深草の里
夕方になると、野を渡る秋風が身にしみる。
その風の中から、ウズラの鳴き声が聞こえてくる――という歌です。
『千載和歌集』秋歌上・259番に収められています。
俊成は、『伊勢物語』の女性とウズラの記憶を重ねながら、深草の寂しさを一枚の風景画のように描きました。
俊成は『千載和歌集』の選者で、『小倉百人一首』の選者として知られる藤原定家の父でもあります。
没後は、深草願成町の高台に葬られたと伝わり、現在も墓所が残っています。
さらに深草は、別の形でも『万葉集』と結ばれています。
伏見稲荷の神官の家に生まれた荷田春満は、『万葉集』『古事記』『日本書紀』などを研究し、近世国学の先駆者となりました。
その生家とされる建物は、伏見稲荷大社楼門の南側に「荷田春満旧宅」として残り、国の史跡に指定されています。
『万葉集』に深草の地名は見つからない。
けれど、何百年も後の深草で、その『万葉集』を読み直し、日本の古典を未来へつないだ人が生まれた。
これも深草と万葉集の、忘れてはいけない関係です。
≫ 実際に歩いてみよう
|おすすめ散策ルート
京阪鳥羽街道駅
↓
藤原俊成卿墓道の石標
↓
藤原俊成の墓所
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本町通周辺の町並み
↓
伏見稲荷大社
↓
荷田春満旧宅・東丸神社
↓
JR稲荷駅または京阪伏見稲荷駅
歩く距離はおおむね2~3キロ。
墓所や伏見稲荷大社をゆっくり見ると、90分から2時間ほどです。
俊成の墓所は住宅地の奥にあります。狭い道や階段があるため、歩きやすい靴で訪れましょう。
墓所では大声を出さず、近隣住宅や参拝者が写り込まないよう配慮してください。
|おすすめの季節
最も似合うのは、やはり秋です。
夕方の光が草木を照らす時間帯に歩くと、俊成が詠んだ「秋風」の感覚に少し近づけます。
ただし、墓所周辺は暗くなる前に歩き終えましょう。
春は疏水沿いの桜や新緑も楽しめます。
|写真スポット
- 藤原俊成卿墓道の古い石標
- 琵琶湖疏水と京阪電車
- 伏見稲荷大社楼門南側の荷田春満旧宅
- 本町通に残る町家や緩やかな坂道
- 秋の夕日に照らされる稲荷山の山並み
|子どもと歩くなら
『伊勢物語』に隠された言葉遊びを探してみましょう。
「深草」と「草深い」、「鳴く」と「泣く」、「狩り」と「仮り」。
昔の人も、現代のなぞなぞのように言葉の音を楽しんでいました。
住宅地には車の通る細い道があり、墓所へは階段もあります。小さなお子さま連れの場合は、手をつないで歩いてください。
京都市が整備する深草トレイルと組み合わせるのもおすすめです。
≫ 地元民しか知らない豆知識
深草願成町には、「藤原俊成卿墓道」と刻まれた明治36年(1903年)建立の石標が残っています。
今でいう案内標識ですが、住宅地の風景に溶け込んでいるため、気付かず通り過ぎる人も少なくありません。
そして、深草と万葉集を直接つなぐ場所は、万葉歌碑ではなく、江戸時代の研究者・荷田春満の旧宅です。
「万葉集に深草は出てこないのに、深草に万葉集研究の歴史が残っている」。
この少しねじれた関係こそ、地元の人にも知っていただきたい深草の秘密です。
≫ センチュリー21ホームサービス伏見桃山店からひとこと
深草は、歴史の深さと日常の便利さが近い距離にある街です。
京都市の移住・定住情報でも、京阪・JR・地下鉄の3路線が利用でき、スーパー、商店街、医療機関などがそろう地域として紹介されています。
龍谷大学や京都教育大学があり、学生の活気を感じられる一方、稲荷山に近い住宅地では落ち着いた空気も残っています。
ただし、同じ「深草」でも、駅に近い平坦な場所と、東側の坂が多い場所では暮らし方が変わります。
道幅、坂道、踏切、買い物先までの経路、学校区などは、住所ごとに確認することが大切です。
物件資料の「駅徒歩○分」だけでは分からない魅力や注意点があります。
朝、夕方、雨の日にも実際の道を歩いてみると、その場所での暮らしが具体的に見えてきます。
≫ 編集後記
「深草は万葉集にも出てくる」と思って調べ始めたら、そのままの地名は見つかりませんでした。
けれど、そこで終わらないのが深草の面白さです。
万葉集には水辺の伏見があり、『日本書紀』には深草里があり、『伊勢物語』では女性がウズラになって恋人を待ち、藤原俊成はその声を秋風の中に聞きました。
さらに江戸時代には、荷田春満がこの地で古典研究の道を開きます。
深草を歩くとき、実際にウズラの声は聞こえなくても、昔の人が残した言葉は今も聞こえてきます。
古典は遠い昔の話ではありません。
いつもの駅名や坂道の中に、静かに生き続けているのです。
≫ FAQ
Q1.「深草」は万葉集に登場しますか?
現在使われている地名としての「深草」は、標準的な万葉集本文や地名整理では確認できません。一方、現在の伏見区につながる「伏見」は、巻9・1699番の歌に登場します。
Q2.「草深百合」は京都市伏見区の深草を意味しますか?
「草深百合」は「くさぶかゆり」と読み、草が深く茂る場所に咲くユリを表します。地名の「深草」を意味する言葉ではありません。
Q3.深草という地名の最古の記録は何ですか?
京都市の資料では、『日本書紀』が最初の記録とされています。「山背国紀郡深草里」や「深草屯倉」という表記が見られます。ただし、『日本書紀』自体が完成したのは720年です。
Q4.深草とウズラはなぜ結び付いているのですか?
『伊勢物語』第123段で、深草に残される女性が「野となったらウズラになって鳴いて待つ」と歌ったことが大きな理由です。その後、藤原俊成など多くの歌人が、深草とウズラを結び付けて詠みました。
Q5.深草で文学散歩をするならどこがおすすめですか?
藤原俊成の墓所、伏見稲荷大社、荷田春満旧宅を結ぶコースがおすすめです。京阪鳥羽街道駅から歩き始め、JR稲荷駅または京阪伏見稲荷駅を終点にすると、90分から2時間ほどで巡れます。
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