Vol.27 ▶ 「竹田」は竹が多かったから?



≫ 地名に残る、千年近いまちの記憶

 

竹田駅で降りても、駅前に大きな竹林が広がっているわけではありません。

それなのに、なぜ「竹田」なのでしょうか。

古い記録をたどると、竹田は単なる田園ではなく、上皇の離宮が置かれ、京都と伏見を結ぶ人々が行き交った場所だったことが分かります。

今回は「竹が多かったから」という素朴な疑問から、現在の住所や駅名に残る竹田の歴史をひも解きます。

 


 

≫ 今回の秘密|この記事で分かること

 

  • 「竹が多かったから竹田」という説は本当なのか
  • 平安時代末期には確認できる「竹田庄」の記録
  • 住所に残る、竹田より古い「真幡寸」の名前
  • 竹田と鳥羽離宮・安楽寿院の深い関係
  • 竹田街道、竹田駅、竹田の子守唄につながる物語

 


 

≫ 秘密① 「竹が多かったから」とは断定できない

 

最初に結論からお伝えすると、「竹が多く生えていたので竹田と呼ばれた」と断定できる史料は、今回確認した公的資料や歴史地名資料の中では見つかりませんでした。

「竹」と「田」という漢字を見ると、竹林のそばに田んぼが広がっていた風景を想像したくなります。

もちろん、その可能性を完全に否定することはできません。

しかし、地名の漢字は、後から土地の音に合わせて付けられることもあります。

現在の漢字だけを見て、昔の景色まで決めてしまうのは少し危険です。

竹田には「竹田庄」「竹田村」という古い土地の呼び方がありましたが、なぜ最初に「たけだ」と呼ばれたのかまでは、はっきり分かっていません。

したがって、最も正確な答えは、

「竹が多かった可能性はある。しかし、地名の由来として確定した説ではない」

となります。

分からないことを無理に物語へ変えない。

それも、地域の歴史を大切にする姿勢ではないでしょうか。

 


 

≫ 秘密② 「竹田」の名前は、少なくとも平安時代末期までさかのぼる

 

では、竹田という名前は、いつ頃から使われていたのでしょうか。

『日本歴史地名大系』が紹介する『京都府地誌』には、竹田村について次のような記録があります。

古くは「真幡寸庄」に属し、「竹田庄」とも呼ばれていました。

そして保元年間、1156年から1159年頃に真幡寸庄が竹田へまとめられ、竹田村と呼ばれるようになったという内容です。

ただし、『京都府地誌』は後世にまとめられた資料であり、保元年間に書かれた同時代の記録そのものではありません。

それでも、竹田という土地の名前が、鉄道や現在の町名よりはるか以前から使われていたことは分かります。

竹田駅ができたから周辺が竹田と呼ばれたのではありません。

先に何百年も続く竹田という土地があり、その名前を駅や街道が受け継いだのです。

 


 

≫ 秘密③ 「竹田真幡木町」は、古い地名を今に残している

 

竹田駅の近くには、「竹田真幡木町」という少し難しい住所があります。

読み方は「たけだまはたぎちょう」です。

この「真幡木」は、竹田村より前の土地名として記録される「真幡寸」と深く関係しています。

城南宮の境内には、現在も「真幡寸神社」が祀られています。

城南宮によると、『日本紀略』の弘仁7年、816年の記事に、真幡寸神が朝廷から認められた神社の列に加わったことが記されています。

竹田真幡木町には「式内真幡寸神社の跡」と刻まれた石碑もあります。

普段は何気なく通り過ぎてしまう町名や石碑が、1200年以上前の信仰につながっているのです。

「竹田」という地名を調べていたら、さらに古い「真幡寸」という名前へたどり着く。

これこそ、地元の人にも知っていただきたい竹田の秘密です。

 


 

≫ 秘密④ 竹田は「田んぼの村」だけではなく、院政の中心地だった

 

竹田という字から、のどかな農村だけを思い浮かべる方もいるでしょう。

ところが平安時代後期、この周辺には白河上皇や鳥羽上皇が関わった広大な鳥羽離宮が造られました。

京都市の資料では、鳥羽離宮の規模は東西約1.2~1.5キロメートル、南北約1キロメートルに及んだとされています。

現在の竹田、中島、下鳥羽周辺に、御殿、寺院、池、庭園などが広がっていたのです。

竹田駅から歩いて約10分の安楽寿院は、保延3年、1137年に鳥羽上皇が離宮内の御殿を寺院へ改めたことに始まります。

周辺には鳥羽天皇陵、近衛天皇陵、白河天皇陵があり、現在の住宅地の中に平安時代の政治と信仰の記憶が残っています。

竹田を歩くと、現代的な駅や道路のすぐ先に、静かな寺院と御陵が現れます。

この景色の切り替わりこそ、竹田散策のおもしろさです。

 


 

≫ 秘密⑤ 竹田は昔から「京都の南の通り道」だった

 

旧竹田村の東端には、京都と伏見を結ぶ竹田街道が通っていました。

村の周辺には鴨川や高瀬川があり、竹田は陸路と水路が交わる交通の要所でもありました。

「竹田街道があるから竹田になった」のではありません。

竹田村を通る道だったから、竹田街道と呼ばれるようになったのです。

1928年に近鉄京都線の前身・奈良電気鉄道が開業したとき、現在の竹田駅は「城南宮前駅」という名前でした。

1940年に竹田の名を冠する駅となり、現在は近鉄京都線と京都市営地下鉄烏丸線が接続する駅へ発展しています。

街道から鉄道へ、鉄道から地下鉄へ。

移動手段は変わっても、竹田が京都の南の玄関口であることは変わっていません。

 


 

≫ 実際に歩いてみよう

 

|竹田の「古い名前」を探す散策ルート

竹田駅
→ 竹田真幡木町・式内真幡寸神社跡碑
→ 安楽寿院
→ 近衛天皇陵・鳥羽天皇陵
→ 北向山不動院
→ 城南宮・真幡寸神社
→ おせきもち
→ 鳥羽離宮跡公園

見学と休憩を含めて、約2時間が目安です。

城南宮公式サイトでも、竹田駅から安楽寿院や御陵を経て城南宮へ向かう散策路が紹介されています。

 

|おすすめの季節

最も華やかなのは、城南宮のしだれ梅や椿が見頃を迎える早春です。

新緑の季節や、紅葉を楽しめる秋も歩きやすいでしょう。

夏は日陰の少ない道路もあるため、午前中の散策がおすすめです。

|写真スポット

  • 竹田真幡木町の歴史碑
  • 近衛天皇陵の多宝塔
  • 安楽寿院の落ち着いた境内
  • 城南宮の東鳥居と参道
  • 城南宮神苑のしだれ梅と落ち椿
  • 鳥羽離宮跡公園の石碑

寺院や御陵では、立入禁止区域へ入らず、静かに見学しましょう。

 

|子どもと歩くなら

「水に関係する町名探し」がおすすめです。

竹田には、青池町、流池町、段川原町、中川原町、泓ノ川町など、水や低地を思わせる町名が残っています。

「竹田なのに、竹より水の名前が多いね」と話しながら歩けば、地名が楽しい社会科教材になります。

交通量の多い道路を横断する場所があるため、小さなお子さまと歩く場合は、竹田駅から安楽寿院までの短いコースでも十分楽しめます。

 


 

≫ 地元民しか知らない豆知識

 

|「竹田の子守唄」は、この伏見の竹田に伝わった歌

全国的に知られる「竹田の子守唄」。

大分県竹田市の歌と思われることもありますが、採集地として記録されているのは京都市伏見区竹田です。

京都市は、この歌を伏見から全国へ発信してきた、人権文化を伝える大切な歌として紹介しています。

美しい旋律だけでなく、その歌を生んだ人々の暮らしや願いまで大切に受け継ぎたい文化です。

 

|竹田には、今も「火の見やぐら」が残っている

竹田狩賀町には、竹田村消防組の装備として造られた、高さ約12メートルの鉄骨造の火の見やぐらが残っています。

現存例が少ない貴重な建造物で、京都市登録有形文化財です。

駅や電車だけでなく、村の暮らしを守った施設も残っているところに、竹田の歴史の厚みを感じます。

 


 

≫ センチュリー21ホームサービス伏見桃山店からひとこと

 

竹田の大きな魅力は、近鉄京都線と地下鉄烏丸線を利用できる交通の便利さです。

京都駅方面だけでなく、四条・烏丸御池方面や奈良方面へも移動しやすく、通勤・通学の選択肢があります。

京都市が紹介する竹田駅周辺は、住宅、店舗、ものづくり企業、農地が混ざり合う多様な地域です。

竹田小学校や藤森竹田児童館があり、竹田・くいな橋方面にはフレスコ竹田店、スーパーマツモト伏見店、業務スーパー伏見店などもあります。

ただし、同じ竹田でも、駅の東西や幹線道路との位置関係によって、街並みや交通量、買い物施設までの距離は異なります。

住まいを考えるときは、駅徒歩の数字だけでなく、朝夕の道、通学路、買い物ルートまで実際に歩いてみることが大切です。

歴史ある寺社の近くでありながら、京都の産業と交通を支える現代的な顔も持っている。

その両方が竹田らしさです。

 


 

≫ 編集後記

 

「竹田は竹が多かったから」と答えられれば、話はとても簡単です。

しかし、はっきり分からないからこそ、古い庄園名、町名、神社、街道、駅名を一つずつ見ていく楽しさがあります。

竹田真幡木町という住所には、千年以上前の信仰が残り、静かな安楽寿院の周辺には、院政が行われた時代の記憶があります。

地名は、答えが書かれた看板ではありません。

何世代もの暮らしが重なった、小さな歴史の入口です。

次に竹田駅へ降りたときは、竹林を探すだけでなく、町名や水路、石碑にも目を向けてみてください。

 


 

≫ FAQ

 

Q1.伏見区の「竹田」は、竹が多かったことが由来ですか?

竹が多かった可能性はありますが、地名の由来として断定できる史料は確認されていません。現在の漢字だけから昔の地形を決めることはできないため、「有力な想像の一つだが確定説ではない」と考えるのが正確です。

Q2.竹田という地名はいつ頃からありますか?

『京都府地誌』を引用した歴史地名資料では、保元年間の1156年から1159年頃に、真幡寸庄が竹田へまとめられ、竹田村と呼ばれたと記されています。ただし、これは後世にまとめられた記録であり、地名が生まれた正確な年代までは分かっていません。

Q3.竹田真幡木町の「真幡木」とは何ですか?

竹田より前の土地名として記録される「真幡寸」と関係する名称です。城南宮には真幡寸神社が祀られ、竹田真幡木町には式内真幡寸神社の旧跡を示す石碑があります。

Q4.竹田で歴史散策をするなら、どこがおすすめですか?

竹田駅から安楽寿院、近衛天皇陵、鳥羽天皇陵、北向山不動院、城南宮、鳥羽離宮跡公園を巡るコースがおすすめです。見学と休憩を含めて約2時間が目安です。

Q5.竹田駅周辺は暮らしやすいですか?

竹田駅では近鉄京都線と地下鉄烏丸線を利用でき、京都駅や市内中心部、奈良方面へ移動しやすいことが魅力です。一方、幹線道路や事業所も多いため、住まいを選ぶ際は交通量、買い物ルート、通学路を現地で確認することをおすすめします。

 

 

関連記事

 

センチュリー21
ホームサービス
伏見桃山店
○近鉄京都線
 「
近鉄丹波橋」駅 徒歩2
○京阪本線
 「
丹波橋」駅 徒歩3
京都市伏見区の不動産会社、センチュリー21ホームサービス伏見桃山店
〒612-0072
京都市伏見区桃山筒井伊賀東町47-3 シャトー桃山1F

センチュリー21ホームサービス伏見桃山店の連絡先です。お客様専用のフリーダイヤルです。不動産に関することを何なりとご相談ください。
TEL:075-612-3721
FAX:075-612-3821

営業時間:9:30~18:30
定休日:水曜・第1第3火曜

まちむすび伏見は、京都市伏見区で暮らすママさんたちが地域の魅力や暮らしに役立つ情報を発信する地域情報ブログです。  子育て中のご家族に役立つ公園やイベント情報、学校や習い事の話題、おすすめのお店やグルメ情報、地域の季節行事など、実際に伏見区で生活しているママさんだからこそ分かる「リアルな地域情報」をお届けしています。

不動産の売却や査定、買取り、購入に関する不動産コラムです。京都市の地域に根差した情報を公開しています。

暮らす人目線で伝える京都市伏見区100の秘密をコラムで発信します。

中古物件を売りたい、買いたい、あなたのための安心サポート、住まいるサポート21

新しい不動産買取サービス、らくらく住み替え。スムーズな自宅売却・新居購入が可能!ローンや引っ越しなど、住み替えの問題を丸ごと解決できます。



センチュリー21ホームサービス 伏見桃山店 Instagram

センチュリー21ホームサービスの求人情報です。営業、事務のお仕事にご興味の方、是非ごらんください。。一緒に働く仲間を大募集しております。